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ライフセービング協会訪問

2010年9月9日、無事にベネズエラに到着し、ライフセービング協会を訪問してきました。

明日からアメリカ大陸の溺水会議にブラジルに行くということで慌しい時間でしたが、いつものように温かく接してくれました。9ヶ月という年月を感じさせない彼らの温かいもてなしには感謝です。

彼らのブラジル出張後、また首都で会えそうなのでその時に会議の話を聞きたいと思います。

ちなみに、大ニュースをゲットしました。
2013年のワールドゲームスは新天地“カリ”(コロンビア)で行なわれるそうです。
カリ在住予定の私としては思っても見なかった吉報です。

写真はライフセービング協会で。



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元旦ガード ベネズエラ最後のガード

新年あけましておめでとうございます。



2010年1月1日、ベネズエラ最後のガードは新春の元旦ガードでした。
前日に引き続くバッド・コンディションで、時折大きな巻波が入ってきましたが、非常にやりがいのある1日でした。

新年&自分にとって最後のガードということもあったので、去年のガードメンバー、協力隊の仲間も訪れてくれました。
何度も水の中に入る機会がありますが、新しい年の始まりを無事故で終わらせることができました。カリブ海でガードをするのもこれで最後だと思うと残念な気もしましたが、初めてガードに入った日から1年半、非常にいい経験ができました。



懐かしいメンバーとの再開



同僚のホセとパトロールをするのもこれが最後かな?

まだまだ日本に帰る実感がしませんが、日本に帰ってからはこの1年半は有意義で懐かしい時間になっていくのだと思います。
まとまりの無い文章になってしまいましたが、ベネズエラの1年半を無事故で終えられたこと、2010年の始まりの日を無事故で終われたことを取り急ぎ、報告いたします。



お世話になった浜の代表 ワルテルさんとイラン人ライフセーバー・アリーさん

無事に活動が終えられたことは、ベネズエラだけでなく、日本で支えてくれた皆さまのご協力があったからだと思っております。
本当にありがとうございました。
日本でお会いできるのを楽しみにしています。



協力隊仲間も遊びに来てくれました。

大晦日ガード



日本の皆様、新年明けましておめでとうございます。

ここベネズエラでも、2009年も残すところあと1時間となりました。
幸運にも天婦羅入り年越しそばを食べて、のんびりと時間を過ごしております。

そして、なによりも12月31日という日に、カリブの海でガードをしたことは一生の記念になることと思っております。
2009年12月31日。3日前の嵐で海は大荒れ。浜茶屋まで水が押し寄せた昨日からは一夜明け、海は落ち着きを取り戻してはいましたが、浜には山のようなゴミが押しよせていました。
クリスマス休暇・最後を飾る忙しいガードを予想していましたが、嵐の影響で人足は非常に鈍く、物足りない感もありましたが、ライフセーバー1人シフトを張ることで、毎日ガードに入っているベネズエラ人ライフセーバーを休ませることもできました。
嵐の影響で海の状況は悪く、1人ではそこそこ忙しさも感じましたが、1年6ヶ月間で培った信頼も感じることもできました。

ビーチクリーン、沖ブイの修理、ガードと大忙しな1日でしたが、素晴らしい2009年の締めくくりの日を迎えることができました。
明日は2010年元旦。元旦ガードそしてベネズエラ最後のガードを海に来た全ての人が快適に楽しく過ごせるように精一杯自分の役割を全うしたいと思います。

写真は、



ビーチクリーンを手伝ってくれた地元の家族連れ



ブイ修理中

幸せな時間

クリスマス休暇、初日の土曜日。ブラジル国境への旅行をキャンセルして、向かっていたのは、いつもの浜でした。



と言うのも、帰国直前の今でも仕事が終わってないという悲惨な状況でまたしても、首都に上京してました。疲れも溜まっていたので、そのままトンボ帰りをしようかとも思ったのですが、自然と足が浜に向かってました。やはり海は色々なものを洗い流してくれます。

休暇初日ながら、遊泳者は少なく、かつての同僚も戻ってきており、3人でのガード。海の状況はあまりよくなかったので、レスキューも数件起きましたが、1日3回・東隣2浜まで出張パトロールに出る広範囲ガードも実施し、バルガス州のリーダービーチとして、日々、浜が成長していると感じました。

指導員講習会でピーター氏が、「アメリカのライフセービング」という演題で彼のメインビーチ、テキサス州のガルヴェスタン島のガードシステムを紹介していた時にライフセーバーを常に配置している合計4kmのビーチの他、周辺の16kmの海岸線が自分たちの管轄であり、24時間365日を通じて、死亡事故を起こさないことが最低で最大の目標であるとおっしゃってました。

名実共にベネズエラ一安全なビーチになりつつある、ガイラ海岸子どもたちのビーチは、「自分の浜の安全確保」という時代から、多少のリスクを犯しながらもガイラ海岸の30kmの安全を守るために動き出したのかもしれません。

さて、帰国を2週間後に控えた今、ガイラ海岸子どもたちのビーチでガードを出来る日も限られてきました。2年間のベネズエラの生活で最も幸せな時間、タワーの上で豪快な魚のフライのお昼ご飯を食べれるのも、あと数えるほどしかないのかと思うと非常に残念です。

と言うことで、大竹では絶対にありえない写真を撮ってもらいました。



「写真:ガード中のタワーの上での食事」

大竹に戻ったら、ガード中に写真を撮ったり、撮られたり、遊泳者と一緒に写ったり、そんなことは出来なくなるんでしょうね。日本に戻ったら、写真に一緒に写ってくださいなんて言われないんでしょうが…。

1年半前、ベネズエラでガードを始めた頃、売店の人に言われた言葉、「ライフセーバーは(子どもたちの)ヒーローなんだから厳格でなくてはいけない。そして流れたボールを取りに行ったりとか、写真に一緒に写るとかサービス精神旺盛に対応しなくてはいけない。そうすることでまたここに来る人が増えて、ライフセーバーのいない浜で泳ぐ人は減って事故も少なくなり、売店も儲かって、皆ハッピーになれる。」なんともラテン的な発言ですが、この言葉のおかげで、お客様第一主義でガードが出来たような気がします。今では名前を呼んでくれる常連さんも出来ましたし…。

残すは、ベネズエラの最後のガード。年越し休暇と言うベネズエラで最も遊泳者が来る素晴らしいはなむけの場を用意していただきました。無事故はもとより、お世話になった全ての人々が気持ちよく過ごせるビーチをマネージメントしていきたいと思います。

GAWAOレポートも残りわずかとなりますが、最後までお付き合いください。

写真は、本日のlife saver



ユニフォームの贈呈





最後のユニフォームは、ブログの巻頭の写真でお馴染み、ベネズエラ初のアジア人ライフセーバー・アリーさん。パナマでのライフセービング活動から一時帰国しました。

講習会最終日

講習会最終日。朝はもちろんフットネス・。ラン・スイム・ラン・チューブ・ラン × 3からスタート。1セット目まではなんとかピーターさん、マルガリータのライフセーバー・ルーベンに着いて行きながらも、その後失速。3番手でのゴール。普段泳いでいるか、いないかがよくでてしまった結果でした。とは言え、久々に息を切らしながら浜を走り、波に向かってドルフィンスルーするのはなんとも気持ちのいい練習でした。

朝食後は、ボードレスキューの確認、素手でのレスキュー、ヒューマンチェーンでの捜索でした。アメリカン・ライフセービングでは重溺時のボードでのレスキューを推奨していないため軽溺のみの練習。日本式のボードを使っての吹き込み動作にはみな興味をしめしていました。ちなみに救助に向かう途中に、重溺に変わってしまったらどうするのかと言いますと、重溺になっても対応できるようにボードでレスキューに行くときと常にチューブを装着しているとのことでした。ところ変われば、レスキュー方法も変わるものです。

素手でのレスキューでは、現在ILSおよびアメリカン・ライフセービングの教本から削除されたとの前置きがありながらも、万が一の場合に備えて、もっとも確実な確保の方法としてチェストによる素手での確保の練習とエスケープ法を確認しました。もちろん水に入らないで救助する方法・ペットボトルやビニール袋など何らかの浮力を持って入水できるならそれにこしたことはありませんがね。

最後はヒューマン・チェーンを使っての捜索作業の練習。ヒューマンチェーンを使って、重りの入った箱を探すという課題だったのですが、水が透き通っていたのもあってベテラン・ライフセーバーにあっという間に見つけられてしまいました。彼いわく若い頃、50メートルプールに20ドル札を落としてよく練習したとのこと。普通ではない環境を自ら作り、その水の動きを観察することで、目は鍛えられるとのことでした。彼の監視の能力には圧巻です。

4日間の講習会を通じて、非常に自分の引き出しを増やすことのできた4日間だと感じています。実際のレスキューの現場において、たくさんの技術を求められることは少ないでしょう。レスキューチューブ1本で、また1つの方法で確実かつ迅速に救助ができれば、問題はありません。でももしその方法が使えなかったら、より良い方法があったとしたら…。そんなことを感じさせられた講習会でした。今回学んだ技術や考え方を自分のものにするのには今後の反復練習が必要です。しかし、それを身につけた後にはまた一回り成長した自分があるのではないかと思います。今は違和感を感じるアメリカン・ライフセービングも将来、自分の引き出しのひとつに入り、状況に合わせて使い分けられるライフセーバーになっていければと思います。

最後にアメリカからわざわざボランティアで指導に来てくださったピーターさん。講習会をコーディネートしてくださったワンダさんに感謝します。

10年、20年後に自分も彼らのような指導員になれるように精進しなくてはなりませんね。

写真:ボードレスキュー



写真: 最後に全員集合(ピーターさんよりクラブTシャツを頂きました。)